グリーンスリーブス ~ ヴォーンウィリアムスの幻想曲
オーケストラ作品のグリーンスリーブスといえば、ヴォーンウィリアムスの幻想曲。 数多くの演奏がある中でも、バルビローリ ( Sir John Barbirolli ) の指揮による「English String Music」( 1963 年録音 ) の演奏は、なかなか良い。 ブログ 「歩きながら話そう」の解説に、「バルビローリは通常のオケを振るときも弦楽を主体にしてメロディをたっぷり歌うのが特徴だ。」 とあるが、なるほどと思った。 弦楽器の各パートが実に気持ち良さそうに歌っている。 リンク先(Youtube) は LPからのサンプリングらしく、ノイズが多く音も割れているので、改めてCD版を入手して聴くのが良いと思う。 (ネット上の多くのショップでダウンロード購入できる。)
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コメント
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ひととおり、聞いてみました。ジャズボーカル、いいですね。声の質というのがすばらしい、と思いました。ジャズバイオリン、僕にはへたくそにしか聞こえませんが、それがとてもいい。こんな風に演奏してみたい。電子オルガン、すばらしい、手でスイッチ切り替えているように見えないので、足か、ひざで切り替えるんでしょうか?あらかじめいくつかをプログラムしておいて、切り替えスイッチで変える、と、聞いた覚えがあります。すばらしいけれど、これはテレビや映画から聞こえる音楽ですね。やはり何かが違う。へたくそなジャズバイオリンのほうが100倍も何かを言ってるように聞こえます。バルビローリは確かにヒスノイズが大きすぎますね。
ぼくがグリーンスリーブスで思い出すのは、リコーダーの変奏曲(グラウンド上の?でしたっけ)、ホルストだったかの6/8と3/4が混ざってるやつですね。
ちょっと昔を思い出しました。
投稿: せろふえ | 2009.06.29 21:52
コメントどうも。 グラッペリの演奏は、何だか適当に弾いているようで、良く聴くと、一つ一つの音が意味を持っている、中々真似しようとしてもできない深い音楽だと思いますね。
オルガンの方は、やっぱりプログラムしているんですか。 自分で弾けたらそれなりに楽しそうではありますが。
リコーダーの変奏曲は、そのうちまとまった記事にしようかとも思ってます。 ホルストの弦楽組曲にグリーンスリーブスが入っているというのは知りませんでした。 あつかましいようですが、ネタにしていいですか。
投稿: はやしだ | 2009.06.30 01:41
ホルストのは「セントポール組曲」またはその編曲した?「吹奏楽のための第2組曲」と言うのらしいです。どうぞネタにしてください。うれしいです。
ヴァイオリン、たしかに。
オルガンというか、エレクトーンを弾く知り合いが、練習ではなくて、そのプログラムするのが楽しくって、いくらでも時間がたってしまうんだ、と言っていました。
投稿: せろふえ | 2009.06.30 06:04
ホルストのネタの件どうも。
エレクトーンの練習よりプログラムの方が楽しいというのは面白い話だなあ。 深い経験を積まなくても、それなりに迫力のある音楽が作れるというのは、やはり良いことなんでしょうね。 一方で、それでいいんだろうか、という思いもありますが...。
投稿: はやしだ | 2009.06.30 21:14
取り上げてもらってありがとうございます。
ぼくもプログラムが楽しい話を聞いたときに、同じようにそれでいいんか?と思ったのですが、いや、さらに一方で、なんでいけないんだ?いいじゃないか、いい音楽を作ることこそ、目的じゃないだろうか?練習もプログラムもあるいは作曲も、おなじ方向へ向かっているんじゃないだろうか?とも思ったことでした。それでも、いや、いいのかなあ、とやっぱりわからなくなりました。
投稿: せろふえ | 2009.07.03 13:21
つきつめると、そもそも音楽とは何なんだ、ということが気になったりします。 人間は、調性やリズムを認知できて、それが感情と結びついているように思えるわけですが、何ゆえにそのような能力を持っているのか、とか。 生の演奏もプログラムも、それが音楽する本能のようなものから来ているのであれば、結局は流儀の違いということになるのでしょうか。
投稿: はやしだ | 2009.07.03 21:09