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ひつじ通信 第42号

ひつじ通信の最新刊が届いたので、ルネサンスの話はひとまず置いて、記事の感想を書いてみたい。

Photo_2特集「世の中をよくする私の提言」は、4人の執筆者の個性が際立っていて興味深い。 年号廃止など社会政策の提言、スポーツエンタテイメントの提言、歴史と宗教の起源に基づく考察、個人目線からの現実的考察、と、切り口はバラバラだ。 しかし、いずれの提言も現実を誠実に見つめ、熟考を重ねた上で述べられた言葉であることが良く分かり、なかなか示唆に富んでいると思う。

「学校教育問題問答 徳育・上の巻」 は、高校教師である夏木氏と由紀氏による対論。 今回は教育再生会議が提言した「徳育」がテーマである。 ふだん教育の現場から遠い素人にしてみると、まず徳育という言葉になじみがない。 とりあえずネットで調べて見ると、「教育再生会議 報告・取りまとめ等」 という資料が見つかった。 徳育については、いくつかの資料に分散して記述が見られるが、最終報告に、次のような集約された提言が記されている。
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(心身ともに健やかな徳のある人間を育てる)
○ 徳育を「教科」として充実させ、自分を見つめ、他を思いやり、感性豊かな心を育てるとともに人間として必要な規範意識を学校でしっかり身に付けさせる。
○ 家庭、地域、学校が協力して「社会総がかり」で、心身ともに健やかな徳のある人間を育てる。
○ 体育を通じて身体を鍛え、健やかな心を育む。
○ 「いじめ」、「暴力」を絶対に許さない、安心して学べる規律ある教室にする。
○ 体験活動、スポーツ、芸術文化活動に積極的に取り組み、幼児教育を重視し、楽しく充実した学校生活を送れるようにするとともに、ボランティアや奉仕活動を充実し、人、自然、社会、世界と共に生きる心を育てる。
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これをみて、なるほど、と思った。 素人の私でも、この教育再生会議の提言が、いかに抽象的で、むなしく、意味の薄い内容であるか良くわかる。 こんな落書きにも等しい文章を上から無責任におしつけられ、ますます無駄な仕事を増やさねばならないとしたら、全くやりきれないことと思う。 もちろん、人ごとではない。 自分も子供が学校に通っている以上、先生たちが下らない仕事に振り回されるのは大変困るし、何より社会全体として大きな損失だ。

さて、ひつじ通信の記事だが、夏木氏の発言は、再生会議の提言の欠点を具体的に分析していて分かりやすい。  すなわち、徳育の中身がはっきりしていないこと、教育される側の都合を考えていないこと、コストを全く考えていないこと、である。 一方、由紀氏は、戦後の教育政策の経緯をふまえ、徳育(道徳教育)というものが、その当否は別として、何らかの成果を上げることがいかに困難か、ということを述べており、これも説得力がある。

興味深いのは、再生会議の提言とは別に、「本来必要な道徳教育」について、由紀氏が問題提起し夏木氏が一定のモデルを提示している点である。 ここで詳細を説明するのは難しいが、記事では「よい道徳と悪い道徳」という見出しで解説されている。 「宗教的な善悪感」を絶対視した「道徳」は困るが、「価値の交換」という合理的な規範にもとづく「道徳」は必要だ、という主張。 思想といっても良い、深い話だと思う。

最後の章では、自分達が社会に対して、どのようなメッセージを発するべきか、という点で意見交換がなされている。 ここでは、両氏の意見が微妙に異なっていて面白い。 前章で提案された道徳原理は、いわば経済的な価値観に近いのだが、この考え方は、社会一般には受けが悪いのではないか、というのが由紀氏の懸念である。 確かに、人々が宗教的であること自体、いくら否定しようとしても、容易に突き崩せるものではないのが現実であろう。 合理的な価値観を主張した結果、不運にも「身勝手」な人間という評価を、逆に受けてしまう可能性は高い。 このことについて、夏木氏は、宗教的な善悪感がもたらす「身勝手」な権力に対抗する唯一の手段は、合理的な価値観に従って自分も「身勝手」になることだ、と述べている。

両氏の違いが、単に信条の問題なのか、それとも何か戦略的な考えに基づいているのか、私には良く分からないが、いずれにせよ、そこに容易には解決しえない課題があることには違いない。 今後の、ひつじ通信の記事の展開に期待したい。

関連サイト : ひつじ通信  ひつじ掲示板2

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コメント

 ひつじ通信は読んでいませんが、感触を書きます。
 道徳教育の不毛性・徒労性については、昔から幾人もの哲学者が指摘していることであり、戦後日本がおかしくなったことの原因のひとつとして、道徳教育が廃れたからだというような指摘をする保守派の論客を見かけますが、当たっているとは思えない。そもそも、道徳的に優れているということがどういうことなのかという定義自体はっきりしないということと、保守派のいうように、仮に戦前のほうが日本社会が道徳的に優れていたとしても、昔の道徳教育を現在に復活させたとして、以前と同じ効果が現れるとは思えない。状況が異なるので。
 自分自身の記憶を辿ってみても、小学校の頃に週一くらいで道徳の授業があったが、何を習ったのかほとんど記憶にない。せいぜい、ソクラテスが捕まって死刑になる話が頭の隅っこにうっすらと残っている程度である。
 むしろ学校は道徳教育には介入せずに、違法行為をする者について対処・処罰するということに限定したほうがいい。
 憲法改正問題やら集団的自衛権の問題やら愛国教育などで、保守派の論客は左派を現実無視と言って批判するが、道徳教育を充実させることで学校問題や社会の問題を減らしていくことができると唱える保守派も、同等以上に現実離れしていて無邪気である。

 なお、道徳に限らず、教育というものの徒労性を示すものとして、ギャンブル依存症・借金依存症・薬物依存症といったひとたちは、たとえ一生教育を続けても、少数を除いて治らないという事実がある。このような問題者について、「だから教育をちゃんとしないといかんのだ!」というのはバカで、たとえどんなに早くから教育をしても、大多数のまともなひとたちはこうした問題行動には手を出さないし、生まれつきの性向者は、どのように熱心に教育しても一生変わらない。三つ子の魂百まで。
 むしろやるべきなのは、人間は教育次第でどうにでも変えられるという妄想を破壊していくことだ。ということで、「再生」しなければならないのは、教育再生会議のメンバーや彼らの頭である。

投稿: EXOTIC GARDEN | 2009.05.04 09:50

教育を取り巻く環境については、正直良く分からないのですが、私が分からないのと同程度に、再生会議の人たちも分かっていないんだろうな、ということは想像できますね。 私自身は、ふだん目先のことばかりしか見ていないので、たまには、子供たちの将来に影響が及ぶ教育の事を、まじめに考えてみるべきだろうと思っています。

投稿: はやしだ | 2009.05.04 11:24

 この題からずれてしまいますが、話が出たついでに追加します。
 借金癖やギャンブル癖を治すことは困難、というよりも不可能と考えておいたほうがよく、はやしださんのお子様の結婚相手が、これらの性向を有していないかということは確認することをおすすめします。このようなひとと一緒に生活していると、他の家族がどんなに頑張って稼いでも資産はなくなってしまいます。借金が増えすぎて返済できなくなり、破産すると、こんどは家族が知らないうちに親戚から借金したり、知人から借金したり、挙句の果ては年金を使い込んだりといったありさまになるのが関の山です。貧困層が話題になりますが、たとえ少なくともゼロではないわけで、借金があるということはそれよりも悪いのです。やり直しや再教育に期待してはいけません。

投稿: EXOTIC GARDEN | 2009.05.05 17:40

自分や家族が、そういうまずい状況に陥るのはぜひ避けたいと思います。 ただ困ったことに、日本の国というものが、国民が知らないうちに借金を増やし、年金を使い込んだりしているもので、それが残念でなりません。 こればかりは、何としてもやり直して欲しいのですが、どうでしょう、やはり、かなり難しいのでしょうか。

投稿: はやしだ | 2009.05.05 21:34

 国家の借金と個人の問題とはかなり違うのではないでしょうか。国の借金については、きちんと論ずるだけの知識がありません。半知半解をさらすだけですので、書きません。

投稿: EXOTIC GARDEN | 2009.05.06 20:40

たしかに国と個人を同列に扱うわけには行きませんね。
どうも少々混乱しておりました。

投稿: はやしだ | 2009.05.06 23:52

 あまりにそっけない書き方をしてしまったので、追加します。
 専門知識がないといっても、関心は持っていたほうがいいのでいろいろ考えてみます。
 国の借金については、深刻な事態だという意見とあまり気にしなくていいというのがあり、どちらなのか分かりません。1000兆円という莫大な額ですが、国債の利率は、先進国と新興国の中でも最低水準で、ゼロ金利に近い預金よりかは大きいものの僅かです。対外債務は無いか非常に少なく、膨大な米ドルの債権を保有しているらしく、日本が売却すれば米国は破綻してしまうそうです。
 借金をして返済できなくなると別のところから借金するように、国の赤字を補填するためにまたしても国債を発行するという悪循環なのでしょう。国債の発行を止めれば税率を上げるしかないでしょうが、実現しにくいでしょう。ただ、そろそろ覚悟しておいたほうがいいのかもしれません。
 ただもしも破綻の危機が本当に近づいているのなら、もっと大きく取り上げられるでしょうし世論も静観していないのではないでしょうか。米国も膨大な借金があるらしく、まして借金の罪悪感が乏しいので向こうのほうが危ないのではないでしょうか。もちろん米国が破綻でもしたらこちらにも大変な悪影響を及ぼすでしょうが。
 いちどこの問題について十分納得のいく評論を読んでみたいものです。
 

投稿: EXOTIC GARDEN | 2009.05.07 20:36

なるほど、あまり気にしなくていいという意見もあるんですね。 確かに、むやみに財政の深刻さをあおることで、本来必要な公的サービスの予算が削減されてしまうとしたら、それも困った話です。 まずは、信頼できる情報が何か、という所から考えないといけないのですが、教育同様、経済についても私自身よく分かっていないのでやっかいです。

投稿: はやしだ | 2009.05.08 07:06

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