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マキアヴェッリ ~ 作曲家ヴェルドロ

喜劇「マンドラーゴラ」と「クリツィア」の上演時に歌われる曲を作ったのは、フィリップ・ヴェルドロという作曲家であった。 (参考記事) 1523年から1527年までフィレンツェ大聖堂の教会楽長を務めており、マキアヴェッリと、ほぼ同世代を生きた人物である。
Lute_song_woodcut
1500年頃のイタリアで流行していた音楽は、フロットーラ という素朴な様式の唄だったのだが、それをもっと洗練された音楽に発展させたのがヴェルドロであった。 彼の作り出した様式の音楽は、マドリガーレ と呼ばれる。 和声が豊かで、パート間 (あるいは唄と伴奏楽器) の旋律が微妙にずれて絡み合うのが特徴的だ。 それぞれの音楽の様式については、Stock Book というサイトの解説 が簡潔で分かりやすい。

この時期のマドリガーレは、落ち着いた、しっとりとした雰囲気の曲が多いのだが、中でも、このヴェルドロという人の作品は、哀愁漂う、せつなげな旋律に不思議な趣がある。

マキアヴェッリの喜劇 「クリツィア」 の音楽

戯曲 「クリツィア」 は、マキアヴェッリが 50代の時の作品。 内容は、前作マンドラーゴラ同様、庶民的な色恋の話であるが、前作の主人公が若者であったのに対し、こちらの主人公は金持ちの老人である。 老人の養女 クリツィアは 17歳になるのだが、こともあろうに、その娘に対して老人が恋心を抱いてしまい、それが元で、ドタバタと事件が起きる、というお話。
 
この戯曲にも、最初と幕間に歌われる合唱曲の歌詞が記されている。
今回は、劇の最初に歌われる曲を紹介する。 ( 堂浦律子 訳 )

~~ QUANTO SIA LIETO IL GIORNO ~~  

作詞 ニコロ・マキアヴェッリ  
作曲 フィリップ・ヴェルドロ

過ぎし思い出が今舞台でよみがえり
称えられる日のなんと楽しいこと。
まわりに親しい人びとが
この場所に集まってきたのを見るのも一興。
われらはうっそうとした森に住んで生きる者
今またここにやって来た。
わたしはニンフ、ぼくらは牧童
われらの愛を共に歌いながら行く。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  

Renaissance_chorus_2

女声ソロとリュート伴奏による演奏 が You Tube で公開されている。(音源不明)

マキアヴェッリの喜劇 「マンドラーゴラ」 の音楽

戯曲 「マンドラーゴラ」 には、劇の最初と幕間に歌われる合唱曲の歌詞が記されている。 ここでは、CDで聞くことのできる曲を一つ紹介したい。 第4幕が終わる頃、主人公の計略が見事にうまく行き、さて、これから人妻と一夜を共にしようという所で幕が下りる。 そして、幕間に歌われるのが、この曲。 ( 脇 功 訳 )


~~~ O DOLCE NOCTE ~~~

作詞 ニコロ・マキアヴェッリ  
作曲 フィリップ・ヴェルドロ

おお、甘美な夜よ、おお、焦がれ合う
恋人たちに寄り添うごとき
聖らかな夜のしじまの時刻よ。
お前の中には尽きぬ歓び
満ち満ちたれば、お前こそ
魂を至福にいざなう。
愛のため駆けずりまわった者たちの
長い苦労にふさわしい
報酬をお前は与える。
おお、至福の時刻よ、お前は
いかなる冷たい心も愛に燃えさす。
~~~~~~~~~~~~~~~~

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マキアヴェッリの喜劇 「マンドラーゴラ」

Photoマキアヴェッリは、君主論のような政治思想とは全く異なる、喜劇作品を3作書いている。 「アンドリア」、「マンドラーゴラ」、「クリツィア」で、そのうち後の2作が、マキアヴェッリ全集4 (筑摩書房) に収められている。 彼が生前に世間から評価されたのは、むしろ、こちらの方であったらしい。 ここでは、マンドラーゴラの紹介をするが、その内容は、とても庶民的で、色恋・不倫といった大人の話。
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ある学者夫婦が、子供が欲しいにもかかわらず、ずっと子供ができないでいる。 その嫁さんの美しさに、主人公の若者は夢中になってしまい、間男となる決心をする。

学者と懇意になり、そして、マンドラーゴラという薬草から作った懐妊薬を嫁さんに飲ませる様に勧める。 彼が言うには、「ひとつ頭に入れておいていただきたいことがあるんです。 つまり、その薬を飲んだご婦人と最初に交わる男性は、八日とたたないうちに死んでしまって、手の施しようがないってことです。」 ・・・・・・ 「誰かほかの男を引っ張って来て、すぐに奥方と寝かせるんです。 そうすれば、奥方と一晩一緒にいるうちに、その男がマンドラーゴラの毒素をすっかり吸い取ってくれるでしょう。」 と、学者を騙しておいて、自分は後で変装して、その犠牲になる男として捕まえられる、というふうに話は進む。

Mandragolaこの劇には、夫婦が信奉する教会の神父も登場する。 あらかじめ、主人公達から金をつかまされた神父が、嫁さんに向かって言うには、「確実な善と、不確かな悪とがある場合、その不確かな悪を恐れて、善を逃してはいけません。 今の場合、確実な善というのは、あなたがお子を身ごもることです。・・・・・・ 不確かな悪というのは、水薬を飲んだあとで、あなたと寝た男が死ぬかもしれぬということです。」 というわけで、嫁さんの方も、しぶしぶ、その計略に従うことになる。
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なんとも荒唐無稽な筋書きだが、そのドタバタさ加減が、ちょっと吉本新喜劇を思わせる。 やはり、いつの時代も、それが馬鹿馬鹿しいからこそ笑えるのだろう。 もっとも、この話は単に下らないというだけでもなくて、その中にマキアヴェッリの思想がにじみ出ている所もあって興味深い。 学者や教会というものを嘲笑ってみたり、神父に、妙に現実主義的な言葉を言わせてみたり、中々手が込んでいるのだ。

ところで、この話は、サマセット・モームの小説 「昔も今も」 の筋書きと、部分的に良く似ている。 つまり、モームはマンドラーゴラのパロディを、自分の小説に盛り込んだわけだ。 マキアヴェッリ同様、モームと言う作家も小説の中に風刺を散りばめるのが得意なようで、いわば 「昔も今も」 は、風刺作家同士の時代を超えた共同制作といえるだろうか。

マキアヴェッリ語録 ~ 君主論

Photo◇ 古典というものは難しい。 中でも、マキアヴェッリが書いた 「君主論」 は、大変理解しにくい本だと思う。 文章の意味が難解だからというわけではない。 むしろ逆で、意味は明快なのだが、その主張があまりに非道徳的で受け入れ難い( と思ってしまう )内容だからである。 以下は、塩野七生の著書 「マキアヴェッリ語録」 の引用。
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( 君主論 第18章からの抜粋 )
 君主たらんとする者は、種々の良き性質をすべてもち合わせる必要はない。 
 しかし、もち合わせていると、人々に思わせることは必要である。
 いや、はっきり言うと、実際にもち合わせていては有害なので、もち合わせていると思わせるほうが有益なのである。 思いやりに満ちており、信義を重んじ、人間性にあふれ、公明正大で信心も厚いと、思わせることのほうが重要なのだ。
 それでいて、もしもこのような徳を捨て去らねばならないような場合には、まったく反対のこともできるような能力をそなえていなければならない。
 君主たる者、新たに君主になった者はことさらだが、国を守りきるためには、徳をまっとうできるなどまれだということを、頭にたたきこんでおく必要がある。
 国を守るためには、信義にはずれる行為でもやらねばならない場合もあるし、慈悲の心も捨てねばならないときもある。 人間性をわきに寄せ、信心深さも忘れる必要に迫られる場合が多いものだ。
 だからこそ、君主には、運命の風向きと事態の変化に応じて、それに適した対応の仕方が求められるのである。 また、できれば良き徳からはずれないようにしながらも、必要とあれば、悪徳をも行うことを避けてはならないのである。
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◇ これは、あんまりだ。 まるで、数年前までの一時期、日本の国民から高い支持を得ていた、自民党の小泉元首相のやり方そのものではないか。 ある人によると、彼は自民党をぶっ壊すと言いながら、日本をぶっ壊してしまったという。 私も同感だ。 今回の恐慌状態に陥る以前から、すでに、雇用不安が拡大し、医療・介護・教育など公的支援の必要な制度がガタガタになっていたのは周知の事実である。 こんなやり方を君主の理想とするなど、とても納得できるものではない。

◇ というのが率直な感想なのだが、何しろマキアヴェッリというのは、歴史に名だたる思想家だ。 そう簡単には割り切れない。 それに、君主論が書かれたのは、約 500年前の、いわば戦国時代のイタリアである。 時代背景を踏まえて考える必要もある。 そういう観点からすると、以下の、佐々木毅 (訳注) 「君主論」 の解説は分かりやすい。
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( まえがきより )
一つ、ほとんど誰でも気がつくのはこれが深刻な政治危機と深く結びついているということである。 ・・・・・・ (権力という) 人間的結合を、相互の信頼関係が極めて希薄な危機的状況の中で、一人の個人の力量に頼って創出しようというのであるから、尋常ならざる能力と巧みな人間操縦術が必要なことは目に見えている。 彼が固執した統治術というのはこうした次元を不可欠な要素として含まざるを得なかった。 
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◇ つまり、不安定な都市国家という当時の状況において、新しい秩序を築こうというのであれば、卑劣とも思えるような君主論の主張も、それなりに正当性がある、ということらしい。 目的の実現のために、あらゆる手段を講じるべきである、という思想を、マキアヴェッリが、当時の君主のあり方に適用した結果、自然に導かれた結論が君主論であった、といえる。

◇ 目的や状況が変われば、それに応じて、最適な手段も変わる。 今の日本の状況に対して、君主論がそのまま適用できないどころか、むしろ悪い結果をもたらすのは当然であろう。 もっとも、小泉政治の目的は、日本全体の秩序ではなく、自民党という小さな「国」の中に新たな権力を築くこと、であったようにも思える。 そいう意味では、確かに目的にかなった合理的な政治だったのかもしれない。 

◇ ところで、この君主論のような、常識を超える著作を残したマキアヴェッリという人物、これがまた興味深い。 サマセット・モームの小説 「昔も今も」 に登場する彼の性格は、実に楽天的で快活である。 また、常に現実を直視する潔さ、手段に工夫を凝らす楽しさ、結果を重視する堅実さ、そういうものを持つ人間として描かれている。 実際、マキアヴェッリの伝記によると、彼の人柄は、まさにモームが描いたようなものであったらしい。

◇ マキアヴェッリは、都市国家フィレンツェの事務官、大統領秘書官として、外交、軍隊創設などに、数多くの実績を残している。 その過程では、良い意味での権謀術数を大いに駆使したようである。 ところが、その一方で皮肉なことに、彼自身は一向に出世することができず、ついには、権力者の交代とともに都市の外に追放されるはめになる。 一つには身分の低さということもあったらしいが、そもそも、彼は権謀術数を自分のために役立てる、ということがどうも苦手だったようである。 様々な手段を駆使することで見事な結果が生まれる、その過程そのものを楽しむことに溺れてしまった、というのは言い過ぎだろうか。 

◇ 「君主論」 の思想は、いわば鋭利な刃を持つ道具であって、安易に振り回すのは危険だが、上手に使えば役に立つ。 マキアヴェッリという人は、後先省みず、そんな道具のことばかり考えている、愚直な技術者のような人間だったのだろう。

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